- 【明治時代】清瀬のはじまり
- 【大正時代】鉄道の発展
- 【昭和時代 前期〜中期】結核との戦い
- 【昭和時代 後期〜平成時代】公共施設が次々に開設
- 昭和48年:清瀬高等学校 開校
- 昭和49年:清瀬中央図書館 開館
- 昭和51年:清瀬地域市民センター 開設
- 昭和51年:野塩地域市民センター 開設
- 昭和52年:下宿地域市民センター 開設
- 昭和53年:けやき幼稚園 開園
- 昭和53年:下宿運動公園 オープン
- 昭和54年:下宿市民プール オープン
- 昭和55年:第1回きよせ市民まつり 開催
- 昭和57年:けやき並木 新東京百景に選出
- 昭和58年:松山地域市民センター 開設
- 昭和60年:清瀬市郷土博物館 開館
- 昭和61年:清瀬金山緑地公園 オープン
- 昭和61年:下宿第三運動公園 オープン
- 昭和61年:松山三丁目地域 緑地保全地域に認定
- 平成元年:清瀬市健康センター 開設
- 平成元年:清瀬10景 選出
- 平成6年:竹丘地域市民センター 開設
- 平成7年:清瀬市開発株式会社 設立
- 平成9年:清瀬市消費生活センター 開設
- 平成12年:清瀬せせらぎ公園 開園
- 平成12年:中清戸地域市民センター 開設
- 平成12年:清瀬市シンボルマーク 制定
- 平成13年:国立看護大学校 開校
- 平成14年:清明小学校 開校
- 平成15年:清瀬市民活動センター 開設
- 平成16年:神山公園 開園
- 平成19年:きよばす 運行開始
- 平成19年:中里地域市民センター 開設
- 平成20年:各種まつりが開催
- 平成22年:清瀬市コミュニティプラザひまわり 開設
- 平成22年:清瀬けやきホール リニューアルオープン
- 平成26年:みつばちプロジェクト 開始
- 平成29年:うちおり 重要有形民俗文化財に指定
【明治時代】清瀬のはじまり
明治11年:神奈川県北多摩郡 誕生
明治11年(1878年)、地方自治を目的とした地方三新法(郡区町村編成法・府県会規則・地方税規則)が制定されます。
郡区町村編成法により郡・区・町・村が定めれ、神奈川県 北多摩郡が誕生しました。
北多摩郡の中には多くの町村がありますが、この時はまだ清瀬村は存在しません。
明治22年:神奈川県北多摩郡清瀬村 誕生
明治22年(1889年)、北多摩郡の各村が統合されます。
この時、上清戸村・中清戸村・下清戸村・清戸下宿村・中里村・野塩村、および埼玉県 新座郡 野火止村の一部が統合され、清瀬村が誕生しました。
一説によると、「清戸」の「清」と、柳瀬川の「瀬」を合わせて「清瀬」となったそうです。
明治26年:神奈川県から東京府へ編入
当時、東京府では、飲み水の水質・水源管理が大きな課題になっていました。
東京府の飲み水は玉川上水頼りでしたが、その水源が多摩郡にあり、直接管理できなかったのです。
東京府は何度も政府に移管を申し出ましたが、いずれも否決となりました。
コレラの流行や神奈川県による独断の涵養林伐採など、相次ぐ問題のなか、明治26年(1893年)にようやく東京府への移管が可決されました。
こうして、東京府 北多摩郡 清瀬村になりました。
明治31年:昇進尋常小学校 開校
明治31年(1898年)、昇進尋常小学校(現・清瀬小学校)が中里に開校しました。
昇進尋常小学校は、昭和16年(1941年)に清瀬国民学校、昭和22年(1947年)に清瀬小学校に改名しました。
【大正時代】鉄道の発展
大正4年:武蔵野鉄道 開業
大正4年(1915年)、武蔵野鉄道(現・西武池袋線)が開業し、池袋~飯能間が開通しました。
まだ、清瀬駅は存在していません。
※以下が開通当時の駅です。
- 池袋駅
- 東長崎駅
- 練馬駅
- 石神井駅(現・石神井公園駅)
- 保谷駅
- 東久留米駅
- 所沢駅
- 小手指駅(現・西所沢駅)
- 三ヶ島村駅(現・狭山ヶ丘駅)
- 豊岡町駅(現・入間市駅)
- 仏子駅
- 飯能駅
大正6年:秋津駅 開業
大正6年(1917年)、武蔵野鉄道に秋津駅が開業しました。
大正10年:清瀬郵便局 開局
大正10年(1921年)、清瀬郵便局が開業しました。
当時はまだ無集配局だったようです。
その名の通り、集配作業を行わない郵便局のことです。
ポストや無集配局に出した郵便物は、集配局が回収し、そこから各地に配達されます。
大正11年:武蔵野鉄道が電化
大正11年(1922年)、武蔵野鉄道が池袋〜所沢間を電化(鉄道の動力を電気にすること)しました。
大正14年(1925年)に飯能駅まで電化が完了するまでは、電車と汽車の混合運転だったようです。
ちなみに、首都圏の私鉄で初めて電化を実施したとして、鉄道史に名を残しました。
大正12年:関東大震災
大正12年(1923年)、歴史的大災害である関東大震災が起こりました。
死者・行方不明者は推定10万5,000人で、明治以降の日本の地震被害としては最大規模の被害でした。
大正13年:清瀬駅 開業
武蔵野鉄道の電化をきっかけに数多くの駅が誕生していきます。
そして、大正13年(1924年)に清瀬駅が開業しました。
【昭和時代 前期〜中期】結核との戦い
昭和時代 前期(昭和元年〜20年)
昭和時代 中期(昭和21年〜45年)
昭和6年:清瀬病院 開設
当時、結核は日本全体で広まっていた感染症で「国民病」「亡国病」と恐れられていました。
清瀬の地理的状況や環境が結核療養に適していたことから、昭和6年(1931年)に結核専門病院として東京府立清瀬病院(現・国立病院機構 東京病院)が開設しました。
これを皮切りに、清瀬に次々と結核療養所が開設されていきます。
当時の場所は現在の中央公園あたりです。
今でも「ここに清瀬病院ありき」という石碑が立っています。
昭和14年:傷病軍人東京療養所 開設
昭和14年(1939年)、軍人結核治療の中心地として、傷病軍人東京療養所(現・国立病院機構 東京病院)が開設しました。
後述しますが、後に傷病軍人東京療養所と清瀬病院が統合し、現在の国立病院機構 東京病院として始動します。
昭和14年:清瀬療養園 開設
昭和14年(1939年)、清瀬療養園(現・救世軍清瀬病院)が開設しました。
昭和43年(1968年)に救世軍清瀬病院に改名しました。
昭和14年:上宮教会清瀬療園 開設
昭和14年(1939年)、上宮教会清瀬療園(現・清瀬リハビリテーション病院)が開設しました。
昭和52年(1977年)に清瀬上宮病院、平成19年(2007年)に清瀬リハビリテーション病院に改名しました。
昭和15年:信愛病院 開設
昭和15年(1940年)、信愛病院が開設しました。
昭和18年:東京府から東京都に改称
昭和18年(1943年)、東京府と東京市が合併し、東京都になりました。
こうして、東京都 北多摩郡 清瀬村になりました。
昭和18年:清瀬保養園 開設
昭和18年(1943年)、清瀬保養園(現・竹丘病院)が開設しました。
昭和45年(1970年)に竹丘病院に改名しました。
昭和22年:清瀬中学校 開校
昭和22年(1947年)、清瀬中学校が開校しました。
昭和23年:清瀬小児病院 開設
昭和23年(1948年)、清瀬小児病院(現・小児総合医療センター)が開設しました。
平成22年(2010年)に八王子小児病院・梅ヶ丘病院と統合し、東京都立小児総合医療センターとして東京都府中市に移転・開設しました。
昭和27年:織本病院 開設
昭和27年(1952年)、織本病院(現・きよせ旭が丘記念病院)が開設しました。
令和4年(2022年)、新病棟への移転に伴い名称をきよせ旭が丘記念病院に改名しました。
昭和29年:清瀬町に改称
昭和29年(1954年)、町に昇格して、東京都 北多摩郡 清瀬町に改称しました。
昭和33年:結核研究所付属療養所 開設
昭和33年(1958年)、結核研究所付属療養所(現・複十字病院)が開設しました。
昭和52年(1977年)に結核研究所付属病院、平成元年(1989年)に複十字病院に改名しました。
昭和36年:清瀬公民館 開館
昭和36年(1961年)、清瀬公民館(現・清瀬けやきホール)が開館しました。
昭和44年:清瀬消防署 発足
昭和44年(1969年)、清瀬消防署が発足しました。
昭和44年:清瀬中央公園 開園
昭和44年(1969年)、清瀬中央公園が開園しました。
昭和45年:東京都 清瀬市の誕生
昭和45年(1970年)、市制施行により東京都 清瀬市になりました。
【昭和時代 後期〜平成時代】公共施設が次々に開設
昭和46年〜64年
昭和48年:清瀬高等学校 開校
昭和48年(1971年)、清瀬高等学校が開校しました。
昭和49年:清瀬中央図書館 開館
昭和49年(1974年)、清瀬中央図書館が開館しました。
昭和51年:清瀬地域市民センター 開設
昭和51年(1976年)、清瀬市民センター(現・清瀬けやきホール)が開設されました。
昭和51年:野塩地域市民センター 開設
昭和51年(1976年)、野塩地域市民センターが開設されました。
昭和52年:下宿地域市民センター 開設
昭和52年(1977年)、下宿地域市民センターが開設されました。
昭和53年:けやき幼稚園 開園
昭和53年(1978年)、けやき幼稚園が開園しました。
けやき幼稚園は平成17年(2005年)に閉園となっています。
昭和53年:下宿運動公園 オープン
昭和53年(1978年)、下宿運動公園および下宿第二運動公園がオープンしました。
野球・サッカー・テニスなど、様々なスポーツが楽しめる施設として、今でも活発に使われています。
昭和54年:下宿市民プール オープン
昭和54年(1979年)、下宿市民プールがオープンしました。
現在は利用者数の減少や施設老朽化により、閉鎖になりました。
昭和55年:第1回きよせ市民まつり 開催
昭和55年(1980年)、第1回きよせ市民まつりが開催されました。
コロナ禍で中止になっていましたが、令和5年(2023年)に第41回きよせ市民まつりが開催されました。4年ぶりの開催でした。
ちなみに、清瀬駅から西友を通って志木街道まで繋がる主要道路の名前がけやき通りに決定したのも昭和55年(1980年)です。
昭和57年:けやき並木 新東京百景に選出
昭和57年(1982年)、志木街道のけやき並木が新東京百景に選出されました。
「都民の日」制定30周年を記念して1982年10月1日に東京都によって選定された100の風景。
都市や自然の景観、名所や旧跡といった都内の景勝地が、東京都民の公募のもとに選ばれました。
昭和58年:松山地域市民センター 開設
昭和58年(1983年)、松山地域市民センターが開設されました。
昭和60年:清瀬市郷土博物館 開館
昭和60年(1985年)、清瀬市郷土博物館が開館しました。
昭和61年:清瀬金山緑地公園 オープン
昭和61年(1986年)、清瀬金山緑地公園がオープンしました。
昭和61年:下宿第三運動公園 オープン
昭和53年(1978年)にオープンした下宿運動公園および下宿第二運動公園に続き、昭和61年(1986年)に下宿第三運動公園がオープンしました。
昭和61年:松山三丁目地域 緑地保全地域に認定
昭和61年(1978年)、松山三丁目の都有地が緑地保全地域に認定されました。
平成元年:清瀬市健康センター 開設
平成元年(1989年)、清瀬市健康センターが開設されました。
平成元年:清瀬10景 選出
市民投票および選定委員会により、清瀬市に相応しい美しい街並みや風景として、清瀬10景が選出されました。
- けやき通りと郷土博物館
- 志木街道
- 東京病院の桜の園と社会事業大学付近
- 清瀬金山緑地公園
- 柳瀬川とさくら並木
- 空堀川と中里緑地保全地域
- 松山緑地保全地域
- 日枝神社・水天宮
- 中里富士塚
- 円通寺
平成6年:竹丘地域市民センター 開設
平家6年(1994年)、竹丘地域市民センターが開設されました。
平成7年:清瀬市開発株式会社 設立
平成7年(1995年)、清瀬市開発株式会社が設立されました。
平成9年:清瀬市消費生活センター 開設
平成9年(1997年)、清瀬市消費生活センターが開設されました。
平成12年:清瀬せせらぎ公園 開園
平成12年(2000年)、清瀬せせらぎ公園が開園しました。
平成12年:中清戸地域市民センター 開設
平成12年(2000年)、中清戸市民センターが開設されました。
平成12年:清瀬市シンボルマーク 制定
平成12年(2000年)に、市制施行30周年を記念して清瀬市シンボルマーク(キラリ)が制定されました。
平成13年:国立看護大学校 開校
平成13年(2001年)、国立看護大学校が開校しました。
平成14年:清明小学校 開校
平成14年(2002年)、第五・九小学校が統合され、清明小学校が開校しました。
平成15年:清瀬市民活動センター 開設
平成15年(2003年)、清瀬市民活動センターが開設されました。
平成16年:神山公園 開園
平成16年(2004年)、神山公園(こうやまこうえん)が開園しました。
翌年には、神山公園の隣に児童センター ころぽっくるもオープンしました。
平成19年:きよばす 運行開始
平成19年(2007年)、清瀬市コミュニティバス「きよばす」が運行開始しました。
平成19年:中里地域市民センター 開設
平成19年(2007年)、中里地域市民センターが開設されました。
平成20年:各種まつりが開催
平成20年(2008年)、ひまわりフェスティバル・環境フェア・川まつりが初めて開催されました。
平成22年:清瀬市コミュニティプラザひまわり 開設
平成22年(2010年)、旧・清瀬東高校を清瀬市コミュニティプラザひまわりとして開設しました。
平成22年:清瀬けやきホール リニューアルオープン
平成22年(2010年)、清瀬けやきホール(旧・清瀬市民センター)がリニューアルオープンしました。
平成26年:みつばちプロジェクト 開始
平成26年(2014年)、市職員による市役所屋上での養蜂「みつばちプロジェクト」がスタートしました。
平成29年:うちおり 重要有形民俗文化財に指定
平成29年(2017年)、清瀬のうちおりが国の重要有形民俗文化財に指定されました。